神職が頭に精麻を巻く儀式
〜 一之宮貫前神社の式年遷宮 〜
何かの折に伊勢神宮で行われた式年遷宮で神職が頭に精麻を巻いている写真を見たことがある。
この神々しさは圧倒的でまさに「The日本」という印象を受けた。
いま「大麻」をテーマにしたドキュメンタリー映画を撮っているので、神と麻の融合をビジュアル化したシーンも是非欲しいと思っていた。日光の二荒山神社では、巫女が後ろ髪を精麻で束ねる「間政(あいまさ)」。
徳島の上一宮大粟神社では、大麻でできた注連縄奉納。我孫子の香取神社では、大麻の鈴緒掛け替えなどをこれまで撮影してきた。
そこで神職が頭に精麻を巻く行事など撮影できないものかと探してみたら、どうも式年遷宮の様な大きな行事でないと、その木綿鬘(ゆうかづら)と呼ばれる「精麻」を頭に結ぶことはないとのこと。
ではと、式年遷宮で調べると、伊勢も出雲も上賀茂も最近終わったばかりと気づき、
『あ〜手遅れか〜。』と思いながらも更に調べて行くと、富岡製糸工場で有名な群馬県富岡市の一之宮貫前(ぬきさき)神社で、数ヶ月後に式年遷宮があるという。
伝手を頼って、貫前神社に電話をすると、宮司は
『うちは夜中の遷宮なので、暗いです。撮影できるかどうか分かりませんよ〜。』
どうやら伊勢とは勝手が違う様だ。とは言いながら、せっかくのチャンス、なんとか頼み込んで、撮影の許可をいただいて、いざ群馬・富岡へ。
一之宮貫前神社は総門を入り、そこから石段をくだった所に社殿があるという珍しい「下り参りの宮」。
創立は安閑天皇の元年(西暦531年)とされていて、祭神は葦原中つ国(日本)平定に功績があったとされる経津主神 (ふつぬしのかみ)と養蚕機織の神とされる姫大神 (ひめおおかみ)。近くに富岡製糸工場があるのも、やはりご縁といえようか。
貫前神社では、12年ごとに式年遷宮が行われる。
仮殿敷地に仮殿が築かれ、申年の12月12日にご神体を仮殿に一旦移す仮殿遷座祭が、翌酉年の3月13日にご神体を本殿に遷す本殿遷座祭が催される。
この本殿遷座祭が斎行されるのが夜中の2時。確かに撮影するには明かりが心配されるところだ。
そのクライマックスの本殿遷座祭が近づき、宮司に電話をすると『当日は夜の12時くらいに来て下さればいいのでは?』ということだったが、昼の明かりで神社の撮影もしておこうと、当日午後には貫前神社に到着した。
準備で忙しい宮司にもなんとか会うことができ、お話を伺うと、
『大麻は当社でも、様々に利用していますよ。弓を使う行事の弓弦も麻をなって作ります。群馬は大麻の産地ですから。』
貫前神社があるこの土地でも多分、かって大麻が栽培されていたのだろう。
そして社殿を撮影していると、通りかかった社務所の方が
『大鳥居の前で、梯子乗りが始まりますよ〜間も無くです〜。』
駆けつけると、火消し装束の人たちによる梯子乗りがすぐに始まった。中には女性の火消しも。実はこの火消し衆。氏子の人たちから構成される町火消しと大名火消しは、江戸時代から貫前神社の遷宮警護の役目を担ってきたのだった。
明かりのある昼間の撮影を一旦切り上げ、高崎に戻り夕食の後、ホテルで仮眠。
再び貫前神社へと向かう。
夜の神社は昼間と違い、また風情があるもので、その表情を撮影していると、
夜中の1時過ぎ。火消し衆が集まってきて、ご神体が通過する階段に、通り道である筵(むしろ)を敷き始めた。いよいよ遷宮本番が近づいてくる。
午前2時前、雅楽の調べにいざなわれ、神職たちが仮殿へと向かう。しばしの静寂。
灯かり一燈を残した寂闇の中をお祓い道具を持った神職を先頭に遷御(せんぎょ)のさきばらいの行列が動き始めた。
最も高い位の神職が纏う黒の正服を着た前行所役(ぜんこうしょやく)の冠には、木綿鬘(ゆうかづら)と呼ばれる「精麻」が結ばれ、同じく精麻でできた木綿襷(ゆうだすき)を身につけている。
ご神体を運ぶ用掛(ようがかり)も清浄の印として「木綿鬘」と「木綿襷」を身につけている。
この用掛は、絹垣で隠されているので、普通は見えないのだが、幸いなことに私の撮影位置がコーナーの少し高いところにあったので、しかも灯りが少しあり、身につける麻がしっかりと見て取れた。本番中は撮影の移動は無理とのことだったが、事前に宮司と相談して決めた絶妙のポジションが功を奏したといえる。
その後本殿にて執り行われるご神体鎮座の儀式等を経て、一通り式が終わったのは、3時をとおに廻り、ご神体が通過した筵(むしろ)の稲わらをお土産にいただいて高崎の宿に帰ったのは、4時を過ぎていた。
古代から続く神儀式における大麻の必要性。それはこの植物と人とのつながりの重要性を物語っているといえよう。
貫前神社の式年遷宮、次は12年後。
今回の式年遷宮の模様は、映画 『麻てらす 〜よりひめ 岩戸開き物語〜』で、ご紹介させていただく予定である。
映画監督:吉岡 敏朗